二冊のノート
色々な手帳やノートの書き方、使い方の本やYouTubeを見て、やってみて挫折してを繰り返してきましたが、今何となく続いているのが、赤と黒のA5のハードカバーノート二冊。
本当は他の人に習って、ノートの目的をはっきりさせて、綺麗にまとめて、、なんてしたかったのですが、なかなか出来ずうまくいきません。
ただ、ノートに色々思ったことや覚えておきたいことを殴り書きしているうちに、少しずつ変な思い込みがなくなってきたように思います。
中身は下らないし、結構恥ずかしいことも書いているので割愛しますが、ノートを開くことが楽しくなってきました。
赤いノートは初め、バレットジャーナルに挑戦しようと思いやり方の説明をそのまま再現してみました。
が、今現在、タスクとしてメモを残しておくような中長期の計画がないので、管理という意味ではほとんど役に立っていません。
どっちかというと、年間のリスト、月別のリスト、あとは日々の日記になっています。もう少し中身が貯まって写真で撮る勇気が出てきたら、アップしてみようかなと思います。
書き方としては、月のリストを見開き二ページに作り、もしやることややりたいこと、なんかあれば書きます。が、そのページは日付と曜日以外ほぼ空白です。
その次のページから日記みたいに書いていますが、基本的に左側を日記のページ、右側をなんか違うページにしています。
自分の中ではその右側が肝で、自分の趣味を書き綴ったり、写真を貼ったり、切り抜きを貼ったり、単語と意味を書いたり、欲しいもの一覧を書いたり、、
自分が上がる何かを書くようにしています。
少しずつ貯まってくると、だんだん楽しくなってきます。
そんなに右側にネタあるかな、、と最初は不安でしたが、日記よりもサクサク進んでいます。
日付で枠を作っていないので、日記の日付が飛んでも気にする必要もないし、ノートも無駄にならないし、自分のペースに近い感じがしていいかなと思っています。
去年までは日付付きの手帳(ほぼ日手帳)を使っていたんですが、どうもうまくいかず、ある日は一ページでは足りないのに、またある日を境に1ヶ月以上空白だったり、結構罪悪感に苛まれ、やめました。
やめたもう一つのきっかけはiPadを買ったので、手帳も電子で管理しようと思ったのがきっかけでした。結局それも自分に合わずやめました。
来年のほぼ日手帳が発売されて、また欲しいな、なんて少し思いましたが、絶対続かないってわかっているので、来年も買うのは控えます。
いつかまた買って使いこなせる日が来るように願っていますが。
そんなこんなで、赤いノートはなんだかんだ4ヶ月目に突入しました。つまり、すごい中途半端な時期に始めたということですね。
それも僕の性格に合っていてよかったです。
ちゃんとした手帳だと、1月始まりとか年度始まりとかきっちり日付があるので、そのタイミングを逃すと、最初から空白があって何となく無駄にしてる気がして、嫌だったんですが、なぜか手帳を作りたくなるタイミングが、いつもランダム。
それもクリアできるやり方を始めたので、全然罪悪感なくやれています。更に、次の年は新しいノートにといった、区切りも考える必要ないし、最後のページを使い切ったら、次のノートへ、、という感覚も自分に合っていて、スタートもゴールもない、本来の僕の緩いだらしない性格にぴったりです。
これからもう少し精度と目的を上げて作って行けたらいいなと思っています。
そして、前方の黒いノートですが、これは始め勉強用のノートにしようとして、実際初めの方に勉強したことをノートに取っていました。が、モチベーションが続かず、途中で終わっており、その次のページから、めちゃくちゃ長く何かを書きたくなった時に何かを書いてました。
それが少し転じて、いいことも悪いことも、悪口も嬉しいこともとにかく何でもかんでも、字も作文のように長々書いてみたり、サインペンででっかく短文を書いてみたり、気持ちが整理できない時、頭でごちゃごちゃ考えすぎて吐き出したい時にこのノートにぶつけています。
そんなこともあり、毎日書くと言ったことではなくて、ある日何ページもどかどか書いたり、しばらく放置だったり、適当です。
まだ半分ちょっとしか書いていませんが、一冊終わる頃には少しでも自分というものが整理できて、やりたいこと、やりたくないこと、自分がこれからどうしていくのか、今の人生をよりよく過ごすために、、など何でもいいからヒントを得たいなと思っています。
何でもかんでも論で話を進めて行きたいと思っていましたが、息が詰まって、生きづらい気がする、と日々感じ始めていたので、自分の感情に向き合いたいと思っています。
今までの癖で、論理だったり理由だったりをすぐ利己的に考え始めてしまって、自分の心や感情が本当に求めているものが何なのか未だにわからないでいます。
一つ分かったのは、そんな自分に限界を感じ始めているということ。
自分が本当は論理的ではいたくないということ。
もっと感情に素直に生きていけるようになりたいと思う今日この頃です。